復興への想いを笑顔に変えて

NPO法人チームふくしま代表理事半田真仁

東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の後、経営者仲間たちとNPO法人「チームふくしま」を立ち上げ、復興や地域活性化のために活動しました。

私たちは震災で多くを失いました。けれど日本中・世界中の皆様にたくさんの応援とご恩をいただきました。

そんな私たちが被災から学んだのは「困ったときはお互いさま」の精神です。今度はその精神を世界に広げ、互いに助け合う社会を実現しようと「お互いさまの街ふくしま」という事業を立ち上げ、後述する「お互いさまチケット」の普及活動などを行っています。

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昨年1月、能登半島地震が発生しました。私たちNPOは、「今度は能登を応援しよう」ということで、東日本大震災で福島県から福井県に移住していた方々と協力し、ひまわり油入りのオリジナルのクッキーを作りました。

このひまわり油は、東日本大地震後にひまわりの種を全国の里親に育ててもらい、新たに採れた種を福島に送ってもらって採油したものです。

クッキーは被災地で提供され、全国に販売した分の収益金を寄付することもできました。

この活動をしていた時に、長年私たちの活動を支えていただいている小説家の志賀内泰弘さんが、声をかけてくださいました。そして、石川県七尾市の喫茶店「中央茶廊」店主の窪丈雄さんとご縁を繋いでくださったんです。

窪さんも地震で店舗全壊の被害に遭われましたが、営業を再開した仮店舗でクッキーを提供して地域の方に幸せを届けてくださいました。

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こうしたご縁もあって、私は「窪さんのお話会を開催しよう」とご夫妻を福島に招待しました。

当日は窪さんにお話をしていただいた後、幼稚園の園児がサプライズで歌を披露しました。お二人はその姿を目にしてボロボロと涙を流されました。そして、「不運だけど決して不幸ではない。繋がれたご縁がたくさんあるから」とおっしゃっていました。

もしかすると、窪さんは子どもたちの姿にご自分の娘さんのことを重ねられたのかもしれません。

窪さんは、実は娘さんがいなかったら亡くなっていたのだそうです。というのも、以前彼は白血病を発症し、ドナーとして適合したのが、娘さんだけだったんです。

窪さんは被災してからも「世の中のために何か自分ができる役割を果たそう」と復興に向けて前向きに活動されています。その背景には「死を意識する境遇から命を救ってもらった」という思いがあるのかもしれません。

窪さんが流した涙には、嬉しさだけでなく、そうした復興に向けての固い決意や、被災地で張り詰めた緊張感が癒されたような感覚など、複雑な感情が交錯していたように思います。

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窪さんは「お互いさまチケット」を導入してくださっています。

このシステムは、まず、来店客が?知らぬ誰かのためにチケットを購入し、先払いします。後から訪れた人が、そのチケットを利用して無料または格安でサービスを受けることができる「恩送り」(ペイフォワード)の仕組みです。

このチケットを受け取った人は、「誰か分からないけど、僕らのことに心を寄せてくれる人がいる」と思いながらそのチケットを利用することでしょう。そうするとそれは、ただのコーヒーではなく、心を癒してくれる一杯になるはずです。

そして、この恩送りの輪をさらに広げようと、窪さんと「きずなドリップ」を作りました。窪さんに珈琲豆を焙煎していただき、ドリップの袋詰めは、福島県内の福祉作業所が担います。能登そして福島に想いを寄せてほしいという願いが込められています。
「きずなドリップ」を通じて多くの笑顔の花が咲き、復興への想いが全国に繋がってほしいと思います。

半田真仁

NPO法人チームふくしま代表理事

【はんだ しんじ】「福島ひまわり里親プロジェクト」を香取貴信氏の発案で開始。亡き同志、吉成洋拍副理事長の「お互いさまの街ふくしま」構想を引き継ぎ、生活困窮世帯を支える「無人福祉型子供食堂」や「お互いさまチケット」の普及活動も行っている。