笑いと涙の介護講談!
講談師田辺鶴英
私はこれまで実母、義母、義父、生涯独身を貫いた義父の妹の介護をしてきまして、今現在は5人目として夫の介護をやっています。
1人目の実母の時、私は18歳でした。脳腫瘍という病気で入院したんですけど、実際は脳動脈瘤という大変な病気だったんですね。
実は、私の母はお妾さんだったんです。お妾さんって悲しい人生なんですよ。父は週に3回家に来るんです。その日、母は一所懸命、料理を作って待っている。でも「帰る」と言ったのに「来ない」日もあるんです。
好きな人のために作ったのに食べてくれる人が来ない。
片付けをしている母を見て小学生だった私は子どもながらに「私は絶対待つ女にはならない。男を待たせる女になってやる。正妻になる」と決めました。
そんな母でしたから、私は大学進学を諦めて精一杯母の介護をしようと思ったんですね。
ところがいざ介護が始まるとケンカばかり。母が「今何時?」「今日は何曜日?」って聞くんです。
それに答えると、しばらくしてまた同じ質問をするんです。これを1日何回も繰り返す。だから「さっきも言ったでしょ?」って、私も激しい口調になるんですよ。
看護師さんが「お母さんは病気だからもっと優しく言ってくださいね」と言うんですが、身内にはなかなか優しくできませんよね。
そうこうしているうちに「近いうちに手術します」と医者から言われた日に脳圧が上がって意識を失い、そのまま植物状態になりました。
「ケンカばかりしていたから、私、バチが当たったんだ」と思いまして、心を入れ替えて付き添い介護を始めました。
でも半年で嫌になりましてね。「何で私ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないんだろう」ってストレス三昧、不平不満の介護でした。
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講談師
【たなべ かくえい】子育てと義母の介護が一段落した1990年、偶然新聞で見た田辺一鶴師匠の「講談修羅場道場開講」の記事がきっかけで入門。古典講談はもちろん、実母・義母・義父の介護を基にした介護講談の他にも、自閉症講談、発達障害講談、アスペルガー講談という演目でも活躍。娘の田辺銀冶も講談師。著書『ふまじめ介護ゆうゆう流』(主婦と生活社)、『ぴんぴんころりでいきましょう』(文芸社)など。
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