忍者の実像と忍術

忍者の本当の姿とは?

三重大学人文学部教授/国際忍者学会会長山田雄司

今日は「忍者の実像と忍術」というテーマでお話をさせていただきます。

まずは、「忍者とは何か」という点から見ていきます。
私たちは現在「にんじゃ」という呼び方をしていますが、塙保己一(はなわ・ほきいち)という江戸時代の学者の書物を見ると、当時は「忍者」と書いて「しのびのもの」と呼ばれていたことが分かります。「にんじゃ」という呼び方が確立するのは昭和30年代頃のことです。
「忍者」と聞くと、手裏剣を投げるとか、「くノ一」と呼ばれる女性忍者が戦いの場で活躍するとか、「戦う姿」を思い浮かべる人が多いかもしれません。
テレビや映画でもそのように描かれますが、そのイメージの多くは後世につくられたものです。
実際は、「間諜(かんちょう)」や「間者(かんじゃ)」といわれるような諜報活動が主な役割で、他国に潜入して状況を探ったり、敵城に忍び込んで火を放ったりしていました。

〇伊賀と甲賀の忍び
現在、忍者の聖地として知られる伊賀と甲賀(こうか)は、農業を営みながら武装し、地域を守る地侍が多いところでした。
室町時代後期に起きた応仁の乱以後、こうした人々は地域ごとに「党」と呼ばれる結びつきをつくり、日夜戦いを繰り広げていました。
自衛のため、屋敷の周囲に土塁や堀を巡らせた跡が現在も数多く残っています。
そのような社会の中で、屋敷に忍び込み人目を避けて行動するなど、間諜の術に長けた者たちが現れました。彼らはやがて「忍び」として、全国の大名や武将に雇われるようになっていきます。
そして、関ヶ原の戦いをはじめとする徳川家康の天下統一の過程では、護衛などの役割を通じてその動きを支えました。
こうした働きが評価され、江戸時代に入ると、江戸城下に住んで町の治安維持に携わるようになります。さらに「百人組」と呼ばれる鉄砲組に組織され、江戸城の警備も担っていました。



山田雄司

三重大学人文学部教授/国際忍者学会会長

【やまだ ゆうじ】1967年静岡県生まれ。京都大学文学部史学科卒業。亀岡市史編さん室を経て、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科史学専攻修了。博士(学術)。日本各地で忍者に関する調査研究を行う傍ら、世界各国で講演活動も行っている。『忍者はすごかった』(幻冬舎)、『忍者の歴史』(KADOKAWA)、『戦国 忍びの作法』(G.B.)など著書多数。