生かされて「今」がある

「嘘やろ!」から始まった人生再生物語

有限会社ホームガイド社長野下一隆

私は現在、鹿児島市内で不動産会社を経営しております。20代の頃に夜の店でアルバイトをしていた時に、その店の常連さんだった不動産会社の社長から「うちに来んか?」と誘っていただき、その会社で12年間お世話になりました。

その後、独立して創業し、おかげさまで今期で30年目に入りました。今でも私をこの業界に誘ってくださった社長さんには毎年欠かさず、ごあいさつをさせていただいております。

◯一人ぼっちの年末年始

私は、幼少の頃から大人になるまでずっと親を恨んでおりました。「なしてこんな家に生まれたとか」と、ずっと思っておりました。

その恨みつらみをエネルギーに変えて生きてきたような人生でした。

私の親父は首の下から腕の先、足はくるぶしのところまで全身刺青(イレズミ)を入れている、いわゆるバリバリの極道でした。

私が生まれ育った家は、見た目は旅館なんですが、やっていることは昔の女郎屋、いわゆる売春宿でした。私のお袋はその女将であり、お袋自身もそういう商売をしていました。

そんな家庭環境で、しかも私は一人っ子でしたから、世間一般の楽しい家庭的な営み、例えば、誕生日とか、ゴールデンウィークとか、お正月とか、クリスマスなどは私の家では一切ありませんでした。だから私はそういうイベントが大嫌いだったんですね。

年によっては正月も大晦日も一人で過ごしたことが何度かありました。あれは忘れもしない小学3年生の大晦日の日でした。

当時はどの家庭でも家族揃って夕ご飯を食べながら7時からテレビでレコード大賞を観て、9時から紅白歌合戦を観て、年越しそばを食べたりして、楽しい年の瀬を過ごしていたと思いますが、私の家には誰もいないんです。

いつもなら「これで何か買って食え」と、こたつの上にお金が置いてあるんですけど、その年の大晦日に限ってお金が置いてなかったんですね。

私は腹は減るわ、寒いわ、寂しいわで、「この家はどうなっとるんだ!」と怒りがふつふつと沸いてきて、思いっきりこたつを蹴ったんです。そしたらこたつの角がテレビのブラウン管に当たって割れてしまい、紅白歌合戦も観られなくなりました。

その年の大晦日は泣きながら一人除夜の鐘を聞きました。



野下一隆

有限会社ホームガイド社長

【のした かずたか】1962年鹿児島県指宿市生まれ。高校卒業後、不動産会社で12年間勤務した後、独立。講演で自らの過酷な生い立ちを開示し、多くの人に感動と希望を与えている。(一社)鹿児島県倫理法人会幹事長、南薩倫理法人会会長を経て、現在は相談役。