「公」はいずこへ

分かりますか? 日本人が変質したということ

ノンフィクション作家門田隆将

今日は日本人が変質しているというお話をしたいと思います。

台湾の第4代総統(1988年~2000年)だった李登輝さんの話から始めます。李登輝さんは、「日本人が変質した」「日本人が変わった」ということを誰よりも分かっている人でした。

李登輝さんは、ジャーナリストの櫻井よしこさんの大ファンで、櫻井さんが李登輝さんに呼ばれたものですから、櫻井さんにくっついて私も一緒に行ったんです。1999年のことでした。

日本統治下の台湾に生まれた李登輝さんは京都帝国大学農学部で学ばれ、陸軍少尉として終戦を迎えています。その時、李登輝さんは22歳でした。

つまり、日本人として生まれ、日本人として育った人です。1945年の終戦で日本国籍がなくなり、中華民国の国民となりました。そして49歳で政治家になり、1988年、65歳で台湾の総統になりました。

総統になってから李登輝さんは40年ぶりに日本人と会う機会が多くなり、その日本人が昔の日本人と全然違っていることに愕然としたのです。

李登輝さんが私にこう言いました。

「昔の日本人はね、誰に見られているとかそんなこと関係なく、人のためになることを自然にやったんだよ。例えば、家の前でほうきで掃除をする時、自分の家の前だけで終わる日本人はいなかったんだよ。右隣も左隣も、そして道の向こう側の家の前も必ず掃除をしたんだよ。そんな民族は他にいないんだよ。門田さん、これ、分かりますか?」と。

私は言いました。「はい、分かります。それを日本では『向こう三軒両隣』といいます。日本では当たり前のことです。うちのお袋もそうでした。普通にやっていました」

李登輝さんはさらに続けてこう言いました。

「そうなんだよ、それが日本人なんだよ。『私』を捨てて、世のため人のためにという『公』に対する精神を普通の日本人はみんな持っていたんだよ。俺は22歳まで日本人だったからそのことが分かるんだ。この『公』というものへの意識を戦後の日本人は失ってしまったんだ。『公』に対する意識が戦前の日本人と戦後の日本人ではまったく違うんだ。『公』というものを国家とか社会とか、そういうふうに日本人は捉えていなかったんだよ。これ分かるか?」と。

李登輝さんは、私がジャーナリストだと知って、日本のことを聞きたくて仕方ないわけです。子どもが母親に質問するみたいに、「これはどうだ?」「これはどうだ?」と質問の嵐なんです。好奇心のエネルギーが半端ないんです。

元々李登輝さんは学者だったので、疑問に思っていたことをそのままにしておけない人です。だからお会いするといつも質問責めになるんです。

午前中に李登輝さんのご自宅に行ったのですが、こういう話をずっとしていたので、終わったのが夜中の1時でした。



門田隆将

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